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  ICT教育・GIGAスクール構想関連コラム

高校 〈英語教師〉座談会 第1回

現役の英語教師が徹底議論!
『主体的・対話的で深い学びにおける英語教育のあるべき形とは』

高校 〈英語教師〉座談会 第1回
著者・監修者 芹澤 和彦

【モデレーター】
芹澤 和彦
高校英語教員/教育クリエイター

主体的・対話的で深い学びの大切さが提唱されています。教育の全体論として語る際、その目指すべき方向は間違っていないと、おそらく誰しもが感じていることでしょう。しかし、教科という括りに視野を狭めた時、学びの在り方や授業デザインの方法はどのように変わっていくべきなのか。偏差値という価値基準が存在するなか、言語学習としての英語教育は何を大切に、どこを目指すべきなのか。探究に携わりながらも教科として中学〜高校の英語を担当なさってきた三名の先生方と、この難しい問いに対するヒントを紐解く議論を行ないました。

「主体的・対話的で深い学び」の理想論と現実論、その間で試行錯誤を繰り返すなかで見えてきた光明とは。そして、英語教育において、追い求めようとしている理想が果たして本当にあるべき形なのか、現実論の中で過去行ってきたことは、本当に是正しなければいけないことなのか。「主体的・対話的で深い学び」に悩む読者の先生方にとって、一筋の光を見出すものになれば幸いです。

武庫川女子大学附属 中学校・高等学校 田辺 先生

田辺 先生

武庫川女子大学附属
中学校・高等学校(兵庫県)

追手門学院中・高等学校  池谷 先生

池谷 先生

追手門学院中・高等学校
(大阪府)

土佐塾中学・高等学校  藤澤 先生

藤澤 先生

土佐塾中学・高等学校
(高知県)

著者・監修者 芹澤 和彦

「主体的・対話的で深い学び」について、普段感じていらっしゃることはありますか?まずは素朴なところからでも結構です。

土佐塾中学・高等学校  藤澤 先生

高校二年生の娘の学習を見ていてふと思ったことがあります。先日カフェで一緒に勉強する機会があり、何をするのかを見ていたら、いわゆる単語帳のようなものと、文法問題集をやっていました。それが私の目には、「勉強としてやりやすい勉強」に見えたんです。一問一答のようなものは取り組みやすい。しかしよくよく見ると、それに追われて、彼女の勉強はそれで終わっていました。
これを見た時に、ここには何の思考も無く、全然深くないと思ってしまいました。学校の授業も含めて、彼女が行なっている学習の全ては見えないものの、もしかしたら、生徒の学習環境の中で、いわゆる主体的・対話的で深い学びの対極にあるもので埋め尽くされていて、物事をじっくり考えるとか、よく分からないものと向き合うとか、そういったことに割く時間はどこにあるのだろう、と思うと同時に、教師である自分自身にもその問いが返ってきて、非常に心もとないな、と感じています。

著者・監修者 芹澤 和彦

まず「主体的とは何か」というのが重要な観点だと感じます。藤澤先生のお話を伺うと、娘さんは「やらされている」とまでは言えずとも「やらなきゃいけないからやっている」という状況かもしれません。一方で、カフェで自ら勉強しているわけですから、そういう意味では主体的に取り組んではいます。教師視点で見ると彼女の取り組みは「課題をやっている」として、主体性の評価に点数を足しているはずです。これが深い学びを作っているかというと、当然そうではないですし、少なくとも、課題を出したから主体的な評価が高まるのは違う、ということは確かですね。

様々な学校で三観点評価を行い始めたところですが、おそらく多くの教科で「課題を提出したら主体性の評価にする」とされていると思います。ただそれは、昔で言う平常点ですよね。本当の主体的な学びではなく「言いなり」としての主体性、つまり「言われたことだけをやり、問いに対して表面的な知識を覚えたら点数がもらえる」ということです。それが客観的に見て浅い学びになるんでしょうね。参考書などの問いは表面的ですが、その問いに問い返しながら、気になったことをさらに深めながら、自分でマインドマップを広げるように問題集を解いていたら、それはカフェでノートに向かって学んでいたとしても、思考は広がっている。ということだと思います。
では、授業として主体的な学びをどう捉えていくのか、授業デザインも担当されている田辺先生のお話をお伺いできますか?

武庫川女子大学附属 中学校・高等学校 田辺 先生

生徒の進学に合わせて、中学〜高校の六年間を通した英語コースの授業を担当したことがあります。いかに教師の指示から脱却し生徒たちの意識や姿勢をステップアップさせるかを考慮しながら授業デザインを行いましたのでご紹介します。

中学では、毎年2月に下記のようなコース独自の発表会を設定しました。

中学一年:自分の知らない世界を調べ、英語で発表しよう
中学二年:日本の伝統文化を調べ、英語で発表しよう
中学三年:ミュージカルに挑戦しよう

このカリキュラムは人前で英語を使うことを前提としていたため、中学生の間に多くの表現・単語を引き出しとして持つことの必要性をじわじわと感じられたのではないかと思います。
ミュージカル制作は、『The Greatest Showman』という映画を何度も観て、20分に台本をまとめ、大きな講堂でのミュージカル作品に再編集するというものです。2時間近くある作品を20分にするためには、多少セリフを変える必要もあり難易度の高い取り組みですが、二年間で学んできたものをしっかりと活かしていたのが印象的です。

中学の三年間は、このような取り組みを介しつつパターンプラクティス(文型練習)を重点的に行いました。

武庫川女子大学附属 中学校・高等学校 田辺 先生

そして高校に入ると逆に全て予習型に切り替え、授業は「教科書の内容を基に議論する場」と定義づけしました。授業内で話せるようになるためには、あらかじめ教科書の内容を自主的に理解しておく必要があります。ただ、いきなりそこまではたどり着けないため、高校一年生の間は、授業前にあらかじめ「参考書の何ページをこうやって見たら、自分で文法を結び付けられるよね」「スクランブル英文法のこういうところがこうなんだよ」というように、単元ごとどのページを見たら良いかを全て私から伝えるようにしました。そうやって教科書や参考書を開く習慣を付けさせていくと、だんだん自分たちで「この内容が分からないからこの文法をこうやって調べよう」とか、「この単語が分からないからこうやって調べよう」という動きが出てきて、高校三年生の時には驚くほど自分たちで考えて動けるようになりました。

また、この英語コースの高校三年コミュニケーション英語の定期テストでは、答えの無い問題の方を比率として多く出題しました。生徒の意見を問う問題、つまり生徒がどれだけ自分の英語力で論述できているかを問う問題です。だからこそ生徒たちは教科書や副教材の読み物の内容に対して自然と「私はこう思う」と意見を交わしていたり、「先生はテストでこんな問題を出しそうじゃない?」とやりとりしている姿を見て、一年時から高校生としての学習方法を積み重ねてきたことで、三年生にもなると、その集大成となる学習方法を自分たちで構築していることに関心しました。教師が指示する学習方法では、生徒の中で教科書の内容と参考書が繋がらず、ただやらされているだけになってしまいますが、生徒が「どのように取り組んだら、どのような学びがあるか」を主体的に自ら考えて取り組めたことで、自身の知識がどんどん繋がっていって楽しかったのだと思います。

ただ、当時はコース編成変更の動きも相まって、「生徒たちや保護者さんたちの期待に応えなければならない」という私の気持ちの矛先が、「しっかりと英語力をつけなければならない」という焦りの方に向いてしまい、難しいことばかり生徒たちに要求してしまったように思います。「楽しく、英語力を伸ばす授業づくり」を目指したい。という反省点を持てたことで、現在担当している生徒たちには、知的好奇心が湧く、楽しい授業を展開しながら、ほどよく難しいことを要求していくことができています。

追手門学院中・高等学校  池谷 先生

生徒の主体性を育むのは簡単なことではないですよね。私は中学1年の学年主任を務めていて、定期的に学年でプロジェクトをやっています。その中のオセアニアに関する単元で「地図帳とかも見たら面白いよ」という話をしたら「先生、何ページ見たらオセアニア載ってるの?」と即座に聞いてきた生徒がいました。地図帳の何ページにオセアニアがあるかは開けば探せるだろうに・・・。なぜそこまで生徒は待ちの姿勢なのか。おそらく小学生の時点で染みついてしまっているのだと思います。自分の娘を見ていると、小学校三年生くらいまでは自由度があったように思えますが、四年生ぐらいから教える側が「指示待ち」のマインドコントロールをしてしまっているような気がします。中学生・高校生になっていきなり自由を与えられて主体的な学びを、と言われても何もできない。生徒の主体性が育まれるよう段階的にサポートしていく田辺先生の六年間でのアプローチは非常に参考になりますね。

学び方を学ばせずに、「何を覚えるか」を指示によって詰め込ませる授業では、当然指示待ちを生み出してしまいます。田辺先生が中学校段階で重点的に行ったとおっしゃっていたパターンプラクティスも「学び方を学んでいる」という点において、自立するための準備として大切なことだと思います。
例えば「好きな映画をひたすらiPadで観る」「AIを活用した発音アプリでひたすら発音してみる」なども立派な学び方の一つですし、指示待ちの思考停止状態にならないためにも、生徒が自分が良いと思って選ぶことに価値があると思います。

著者・監修者 芹澤 和彦

主体性を育むために「学び方を学ばせる」。非常に有益なヒントをいただきました。少し藤澤先生の娘さんのお話を振り返ると、「取り組みやすい一問一答の学習」の浅さについてのご指摘もありました。ここからは、英語教育としての「深い学び」についても議論を展開していきたいと思います。物事をじっくり考える、よく分からないものと向き合うような時間が学校の学習の中でないのでは?という課題にも言及されていましたが、藤澤先生は日々の活動の中でこの観点について、改めてどのように感じていらっしゃいますか?

土佐塾中学・高等学校  藤澤 先生

高校における英語教育を語る際に「英語力」と「学力」という概念があります。
英語力とは、単語や文法の勉強をはじめとした英語の基礎力のようなもの。学力とは、長期熟成によって育成される精密でかつ論理的なもの。「読書経験」「思考経験」「実体験」「語彙力」「漢字力」「数学的論理思考力」などの総体で、教養に近いイメージです。

英語力は英語を勉強していたら比較的すっと身に付きますが、学力はすぐには身に付きづらいと言われます。「深い学び」の実現のためには英語力だけでなくいかに学力を向上させるか、も考えなければなりません。「共通テストは学力寄り」「二次試験は英語力寄り」と表現されることがありますが、大学入試の過程でも生徒たちは学力を問われる時代です。

ただ、学力向上に時間がかかるのだとしたら、どうやって伸ばしたらいいのか、そもそも伸ばせるのか。そのことについて強い課題意識を持っています。教師としては、いわゆる教養を身に付けさせたいと思っているはずなのに、知識を詰め込むことに終始していて、なかなかそこに寄与できているか怪しい。少なくともそこを目指した授業展開がうまくできていないという悩みがあると思います。「共通テストに向けてどう生徒を準備させたら良いか分からない」「二次試験の方が対策を立てやすいし勉強もさせやすい」という声をよく聞きます。教師にとっては長期的な視点、かつ成果が簡単に見えないものに焦点を当てるという難しいタスクを与えられている気がしています。これは教師に対する問いかけなのかもしれません。

学力を測るような高校三年生の最後の入試演習は、私にとってはとても面白いです。問いとしてよく練られているし、そこで頭を働かせるのはすごく良いことだと思うのですが、そこに至るまでに、いわゆる基礎的な英語知識を入れることに一生懸命になって、応用として学力を伸ばす段階にまでたどり着けないまま終わってしまう生徒も多くいるのが現実です。英語力の先の学力を伸ばすレベルにまでたどり着かなければ、思考力を働かせる機会がないのだとしたら、学力はどう伸ばしていくのか。そこに行くまでに一体何ができるだろう、というのが今の私の問いであり、悶々としているところです。

追手門学院中・高等学校  池谷 先生

私も藤澤先生と似たような課題を感じています。例えば英語探究の授業でも、リフレクションで「すごい良いこと言うな」とか「文字いっぱい書くな」とか「これは深いな」と教師が思うものを書いてくるのは、いわゆる偏差値が高いクラスの生徒なんです。
今の偏差値から別の評価に取り替えたとしても、実際に高い点数を取るのはこのような生徒なのか、という問いを立てたことがあります。偏差値が高い生徒しか深い思考にたどり着けないのだろうか、と。でもこれは教師の「正解」ありきの考え方で、生徒を誘導してしまうのではないかと今ではそう思うようになりました。

英語を教える際に、誰しもが英語が好きで得意なわけではない、ということを念頭に置きながら教壇に立たないと、全員に深い学びを強制してしまいそうになるので、注意しています。全部が全部できなきゃいけない、ということはないので、英語が得意で好きになった生徒がとことん探究すればいい。数学が好きな生徒は数学でいったらいい。英語でそこまでたどり着かなくても他の思考力では高いレベルに到達できる生徒もいるかもしれないので、少なくともそれを平均的に上げなければならない、というシステムはなくさないといけないと思っています。

好きや得意なものを深める、今興味あることに取り組む方が良い。基礎的な学びでも深い学びでも、その前提には興味・関心が伴っています。ただ無理矢理詰め込まれたが故に「嫌い」になってしまった教科に対する興味を取り戻すのは至難の業です。教科の知識は全て、本来は面白いものであるはずです。それを面白くないようにしてしまっているのが今の学校かもしれません。面白がれる空間さえ作れば、生徒たちは自ら深めてくれると信じています。
私としては、「テストに出るから文法を学ぶ」というのが駄目だと思うだけで、文法の第何文型「これは25文型ぐらいあるんじゃないか」という話はそれこそ探究的な深い学びですよね。具体であればあるほど探究に近づく。と思っています。具体的なものをより具体的に知ろうと思うと、多分それが面白さに繋がってくる。教師が「これって本当に面白いんだよ」と言うことに関してはすごい食いついてくる気がします。

土佐塾中学・高等学校  藤澤 先生

「深い学び」について私の中で引っかかっているのが、学びというものをどのように捉えるのかという「学習観」の部分です。学んだ内容や学び自体を通して自分が再構成されていく、それまでの自分の中の当たり前が崩れて再構成されていく、そして社会の中での自分の捉え方が変わっていくとか自分のアイデンティティが変わっていく、ということが深い学びだと捉えています。私の中の体験として、例えば読書会※1の活動などはすごく深い学びを促したと思っています。そういうことこそ本当は時間を使って丁寧に取り組んだ方が良いのだと思いますが、そういうことに取り組めている時間は生徒の高校生活の中であるのでしょうか。

目の前にある取り組みやすいことに取り組み続けていて、ネガティブ・ケイパビリティ※2のようなものが全然発揮されない気がしています。考えにくいような問いとか、答えが添えられていないようなものとか、それと向き合い続けることで自分が変容していくようなものと向き合う時間をいかに取ることができるのか。ここに課題を感じています。
時間がかかっていくような教養とか学力は、深い学びの積み重ねだと思うので、本当はそこに時間をかけるべきだと私は思っています。一方で、本当にそういったものが学校の中で大切にされているんだろうかという葛藤もあり、「学習観」において、自分の授業がつまらないのでは、とさえ思ってしまっています。

追手門学院中・高等学校  池谷 先生

世の中の様々な発信を聞いていると、「今後英語は本当に大事だ」「このグローバル社会、英語がなかったら日本人として話にならない。」というようなことを耳にします。そういうことなら、もう強制してでもやらせなきゃいけないのか。それができるようになった先にしか見えない景色があるから、「とにかくやりなさい」と言って英語をひたすらやらせるべきなのか。
よく保護者さんとお話しているなかで「この子はまだ何も分かっていないので、とりあえず今は強制的にやらせるしかないんです。」とおっしゃる方がいます。「いえいえ、そうではないんです。これまでの教育の結果が、【生徒が自分ではやらない】なんです。それなのにまだ教師側から与え続けるのは同じことの繰り返しになると思うんです。」というお話を差し上げるのですが、ゴールを大学受験に据えてしまっている場合、価値観のすり合わせがとても難しいです。
強制的にやらせるということも完全な否定はできません。最初は強制的にでもやらせるなかで、気持ちが乗ってくることもあるかもしれませんので。ただ、その弊害として嫌いになってしまって自己肯定感が下がってしまう、というリスクに教師は目を向ける必要がありますし、これまでに強制されてすでに劣等感を植え付けられている場合には、当然有効的ではありません。
とは言え完全な自由では不自由になってしまう段階だということは理解できるので、こちらでテーマや道具を限定して授業を進めているわけです。それ自体は緩やかな強制であって、その中でとにかくやってみようというマインドセットを育むことが大事だと考えています。

「主体的・対話的で深い学び」を考えた時、教室に英語の教材が多く置かれていて「自由に好きに学んでね」というのが理想ではあるんです。でもそれはできない。学習指導要領があって、私たち教師が前に立って、時間割があってチャイムが鳴る時点で強制されたものではあるので、その中でどうバランスを取っていくかを教師は考えないといけない。本当は振り切りたいという気持ちはありますが、これの繰り返しですよね。行ったり来たりをずっとしてるんですよね。行き来しながら、振り切ろうと思っても「生徒がついてこない…」と思いながら、間を取ろうとするけど失敗する、ということを繰り返しながらちょっとずつ探究的な学びに行こうとしています。そうやって悩んでる先生っていっぱいいらっしゃるんじゃないかなと思います。IB(国際バカロレア)※などの概念的な学びが流行りだしていて、新学習指導要領もそこをイメージしてるんだろうなと思います。
根本は、「概念的に物事を理解してしっかりと考えるようになる」というところからきているような気がしていて、それでもやはり強制された学びではあるので、我々英語教師にとって非常に難しい問題です。

先ほど藤澤先生がおっしゃっていた「読書会」は、「この本すごく良いからみんなで読もう!」というものですが、集まり会話することで、様々な人の考え方を聞けて自分の中で何かが変わっていく体験ができました。自分たちが動いたからこそ学び取ろうとする意識も生まれて、その中で見つけた目的に向かってどんどん学びを深めていくことができたのだと思います。そういった、目的が見つかる瞬間や機会を生徒たちは失っているのかもしれません。

著者・監修者 芹澤 和彦

時間をかけて自分の思考の再構築であったり、自分と世界を深めていく、知っていく。そういった深い学びを行う時間が本当に高校生たちにあるのかという問題提起ですね。授業の中で主体的・対話的に盛り上がったとしても、それはアイデンティティに結びつくような深い学びになっているかというと、なかなか難しい。そこまでの授業はなかなかたどり着けない、多くの現場の実情がありますね。

「理想的な主体的・対話的で深い学びの実践」と「英語教育としての基礎的な知識を身に付けていかなければならない現実(生徒の能力の違いや得手不得手、時間的な制約なども含め)」とをどのような兼ね合いで行っていったら良いのか。非常に難しい問いですが、最後に御三方が考える「理想と現実の兼ね合いとは?」をお伺いします。

今すぐ 行動すること

池谷 先生

理想は今実現しないと、いつまで経っても現実にはなりません。だから今すぐ行動すること。やってみると課題も見つかるし、次の道が見えてくる。未来を変えようとするのではなくて、今変えること自体が未来を創ります。「どうすれば主体的に学ぶ空間を創造できるのか」を実践し続けるというシンプルな問いを、本気で実現しようとするかどうかですよね。その大人の主体性が生徒たちの主体性を引き出すのではないでしょうか。

居心地の悪さに留まり、もがく

藤澤 先生

理想と現実はどちらかに引っ張られてしまうと変化を生み出す力として作用しません。私たちは物事を単純化して、分かりやすく納得したい生き物。でもきっと理想も現実も多層的で複雑なもの。だからこそ、理想と現実とを両方しっかりと見つめ、そこにある様々なものに目を向け、そしてそこから生まれるある種の居心地の悪さから逃げ出さずに、中に留まる覚悟が問われているような気がしました。きっともがき続けるんだろうなと気が重くなりつつも、その方が真実に近いのかもしれないということに希望を持っていきたいと思いました。

楽しみながら好奇心を鼓舞する

田辺 先生

私は言語学出身で本当は文法の授業の方が好きなんです。この語順だとなぜこうなるのか、SVOOとSVOに前置詞を置くのはなんでなのか、というような語用論などを本当はやりたい。今、空気感として求められているから探究的な授業を行っていますが、英語を本当に使える人に育って欲しいからこそ、文法をガシガシやりたい。でもそれだけでは良くないと感じていますので、このバランスは模索し続けています。
語用論などの必要な学習は疎かにしないなかで、探究的な深い学びについては「そういう扉があるよ!」とちらっと見せて気づきを与えたうえで「なんでこうなんですか?」と疑問や興味を持った生徒にはきちんと対応していく。このように、基礎を大切にすることを土台としつつ、楽しみながら好奇心を鼓舞することが理想と現実の良いバランスではないかと思います。

私には10年以上続けている趣味に、スポーツ、音楽演奏、写真、そしてスキューバダイビングがあります。ここ数年はそこに登山が加わりました。登山は、ずっと坂道が続くわけではなく、坂道もあれば平坦な道もあり、登りたいのに降る道もあります。その道中には、見たことのない鳥や植物に出会い、気持ちが晴れることも多々あります。そして、頂上で待つ絶景にたどり着いた時、言葉では表すことができない気持ちになり、また次の目標を探すことになります。
言語習得も同様で、スキップしながら身に付けられることもあれば、言語習得を通じて新たな知識を得られることもあります。どれだけ頑張っても、なかなか読み解けなかったり、聞き取れない文章に出会うこともあれば、その山を越えると一気に世界が広がる感覚に出会うこともできます。最高の絶景に出会うために、言語習得という山登りをぜひ楽しんで欲しいです。

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教師、自治体、学校関係者の皆さまへ

※トライアル版お申し込みは教師、学校・自治体関係者に限らせていただきます

著者・監修者 芹澤 和彦

■著者・監修者
芹澤 和彦
高校英語教師/教育クリエイター
講演、企業研修、教師研修、イベント運営を多数実施。英語教育ではEF Excellent Award in Language Teaching 2019 Japan Finalist 第2位の表彰、アントレプレナーシップ教育ではNPO法人BizWorld Japan アドバイザー、ICT教育では2019~2022 Microsoft Innovative Educator Expertの認定を受けるなど、ジャンルを越えて教育実践を展開している。探究やクリエイティブ・ラーニング型授業の実践家である一方で、教師をしながら個人事業として起業。学校と社会の繋がりをつくる多様な活動をしている。
著書『中学校・高等学校 4技能5領域の英語言語活動アイデア』(明治図書)。

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教員と生徒がコミュニケーションをとれる授業支援機能

画面は全て開発段階のため、最終仕様と異なる可能性がございます。

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