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  ICT教育・GIGAスクール構想関連コラム

「何のための探究なのか」
本質論から見えてくる、教師に必要な思考・姿勢とは

『探究』を語る特別対談 Vol.1

芹澤 和彦
高校英語教員/教育クリエイター

荒木 寿友
立命館大学 教職研究科 教授 博士(教育学)

「生徒たちが自ら問いを持ち、きっかけを作り情報収集・課題設定して、自分の中で、そして自分だけではなく、他者との関わりの中で最適解を導いていく」探究学習。総合的な探究の時間として高校教育でカリキュラムとして設定されているものの、その実践方法は各学校、各担当者に委ねられているため、模索が続いているという状況だと思います。今回は教育学の博士でいらっしゃる立命館大学 教職研究科 教授 荒木 寿友先生をお迎えし、探究学習を成功に導くヒントについて語っていただきました。探究にお悩みの全ての先生方にとって、実りあるお話になれば幸いです。

20年たって、ようやく型ができてきたものの、
未だ現場を悩ませている探究。

著者・監修者 芹澤 和彦

探究をどう浸透させていくかというテーマで考えた時、探究担当の先生が苦しんでいます。周りがやってくれない、理解が進まない、研修をやろうにも乗り気になってくれない。私の周りでも、そういった悩みを抱えている現場の先生が多いようです。

荒木 寿友先生

1998年に「総合的な学習の時間」が告示された時、ほぼ縛りがなかった。こういったカリキュラムをやります、でも教科書はないです。目標や方法に関しては学校で決めてください、と。
「結局教師は何をしたら良いの?」という声が上がりました。テキストのようなものがあって、やり方を提示してくれないとやりにくい。自由は無理だ、と。
その後「総合的な探究の時間」になり、総合の始まりから20年経ってようやく少し型ができ始めてきたようにも思います。学習指導要領もかなり分厚いマニュアルのようなものになっていますね。ただ、未だに探究って何をしたら良いの?と悩んでいる先生は、すごく多いと思う。だからこそ芹澤先生がおっしゃっていた探究担当の方の悩みにも繋がってしまっているのかなと思いますね。

著者・監修者 芹澤 和彦

そうですね。本日は、現場の先生や探究担当の方が探究を推進しやすくなるようなヒントやポジティブな心持ちになれるようなお話を荒木先生とできればと思います。

なぜ探究は教師を悩ませるのか?
スタート地点である「課題の設定」にある落とし穴。

荒木 寿友先生

探究の話をする時、この図を良く目にしませんか?これは文部科学省が出している「探究における生徒の学習の姿」という図です。このサイクルを探究の指標としている学校が多いと思います。

対話式ペアワークの図解

文部科学省:【総合的な探究の時間編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説

確かにこう回って行くのだろうなとは思うのですが、この最初の「課題の設定」に向かう矢印があっさり書かれすぎている気がしています。
最初のこの課題の設定に向かっている矢印に、ものすごく色々なエッセンスが入っているはずで、本来は探究の核であり、実践にあたって一番苦労するところでもあると思う。探究の醍醐味はここにあると言っても過言ではない。
それなのに「日常生活に目を向け課題を設定する」と、それだけです。これでは先生方も、探究への臨み方を間違えてしまいますよね。

著者・監修者 芹澤 和彦

そうですね、私も実践経験として、課題設定ができた時点で8割はクリア。ある程度解決できるという見通しを持てているような感覚を持っています。ポイントは「課題設定」を上手に行うにはどうしたらよいのか、ですね。

問題見つけにギラギラしすぎ。
「課題の設定」につまずく要因。

荒木 寿友先生

まず一つは「問題見つけにギラギラしすぎないこと」でしょうね。ほとんどの先生が、見つけよう見つけようとしすぎているような気がします。まず、そこからマインドを変えていくべきだと思います。
もっとニュートラルに物事を眺める。例えば、「マンホールってなぜこんな形をしているのだろう」とか、「なぜ落ち葉ってこんなところに固まるの」とか、そういう何気ないところに気づきがあるはずなのに、そういうものは見ずに、「すごい問題を探してやろう」みたいな気負いがある。
本当はそういう日常を広く拾っていくようなアンテナの中に問題は出てくるはずなのに、細かいところには全然意識を向けないようにして、大きなものばかり拾おうとしているから、結局大きなものも何も見えない。小さいものが見えてないのに、大きいものが見えるはずがないのです。
それこそ幼稚園児が、いきなりしゃがんで蟻の行列をじっと見ているとか、大事なのはあの感覚。あの好奇心の中に、実は探究が出てくるはず。

近道を求め過ぎているんです。こうしたらすぐ課題が見えるという近道は無い。どんな競技の人も、基礎練を大事にしているのと一緒で、多分日常を平たく見ていくのが基礎練みたいな感じ。それなのに、みんなダンクシュートの仕方ばかりを求めてしまう。
本当は日常の通学路の景色をちゃんと見る、そういった訓練の方が大事で、こんな匂いがするとか、今日は星が綺麗だとか、なんか今日の夕日は良いなとか、今日は空気が澄んでいるなとか。そういう五感を通じて色々なことをちゃんと感じられる感覚が大事。

荒木 寿友先生

でも、学校の探究って時間がなくて、そんなことをやっているのは無駄な時間だと捉えられてしまう。本当は無駄な時間の方が大事なのに。無駄なフィールドワーク、無駄な街歩きは絶対大事なはずなのに。先生も生徒も、どこかで「この時間は無駄なのでは」と思いながら街歩きするから、結局何も見つからない。
むしろ無駄を楽しんだら良いのです。そうしたら見えてくることがいっぱいある。そこを大事にしないから、後の工程が回りにくくなり、探究がうまくいかない。

著者・監修者 芹澤 和彦

一見無駄なようなことかもしれないけど、現実をありのまま観察して感性を磨く、それが課題設定のコツにつながっているということですね。

荒木 寿友先生

日常をちゃんと味わっているから、日常とは違う空気が入ってきた時に、「あれ?なんか違う」という日常の違和感に気づけるのかなと思います。
違和感が入ってきた時、その違和感に気づくことと合わせて、でもこうあって欲しい、という理想の状態を常に描けるようになることが大切です。

課題と問題の混同が、探究を狂わせる。

荒木 寿友先生

あと、もう一つ探究がうまくいかない要因として、「課題」と「問題」を混同してしまっていることが挙げられると思います。先ほどの話では「問題見つけにギラギラしすぎない」と、問題という言葉を使いました。当然ですが、課題と問題は違う。でも探究だとそこが一緒になってしまっている。

著者・監修者 芹澤 和彦

確かに混同しがちですよね。英語で表現すると分かりやすいですが、「Problem」と「Task」。現実と理想のギャップがあるとして、そのギャップそのものがProblem(問題)、そしてそのギャップをどう埋めるかがTask(課題)ですね。
Problem(問題)は見つけるもの、Task(課題)は設定するもの。という解釈が必要だと思います。そう考えると、課題を見つけようとする行為の不自然さが分かりますね。

荒木 寿友先生

街中のゴミで考えたら、カラスが食い散らかしているのが問題で、それをどうすれば解決できるかなって考えていくところにTaskが入ってくるので課題になってくる。でも、カラスが汚していてもそれを問題と捉えずに通り過ぎる人もいっぱいいる。その人にとっては別に問題とは思わない。でもそこで生活している人は洗濯物が汚れる、どうしようとなった時が問題なんですよ。ではどうしたら良いだろうって、対策を考えるのが課題になってくる。
まず現実を知らないと問題、課題は絶対出てこないし、さらには理想を抱けないとその差も見えてこないから、実は問題も課題も見えてこない。
授業でフィールドワークに行ったら、現実しか見ない。どうなったら良いの?ということも想像させながら現実を見ないと、そこに問題は見えてこない。
冒頭の「探究における生徒の学習の姿」のサイクル図に戻ると、生徒を野に放って、さあ課題を見つけてこいと言われても、それは見つからないよなって思いますね。

著者・監修者 芹澤 和彦

サイクル図の課題の設定の前段階をもう少し細分化すると、「日常生活における気づき」→「問いの発生」→「問題(Problem)の発見」→「課題(Task)の設定」となりますね。ここまで行って初めて課題が設定できる、と同時に探究の核ができる。

探究の根底にあるべきEquity(公正性)

荒木 寿友先生

例えば、近年非常に注目されているアメリカの公立高校ハイテックハイは、探究をガチでやっていますよね。課題解決能力を目的とした学習、PBL(問題解決型授業)。その目的はエクイティ(Equity)、公正性。公正を実現するためにPBLがある。PBLって、全面に出ているけど、手段でしかない。目的は公正な社会、エクイティを目指していく、というところ。でも日本で生徒たちがやっている探究が、果たしてエクイティに合致しているのかというと、少し疑問です。
どの先生も生徒と話し合いをしながらやっているけど、そういった観点を持った探究に、芹澤先生は今まで出会ったことがありますか?何を目指して探究をやるんだろうというところ。日本は結構弱いかな、と感じています。

著者・監修者 芹澤 和彦

日本は弱いかもしれないですね。聞いたことがあるとしても、IB(国際バカロレア)とかの部分くらいです。

荒木 寿友先生

IB(国際バカロレア)は、学習者像というのが核としてきちんと決まっていますからね。
僕は自分の専門と探究を結び付けると、道徳教育だと思っています。高校には道徳科はないけど、学校教育全体として道徳教育はある。学習指導要領上は無いと思っている高校の先生が結構多いけど、道徳教育が抜けると、悪い探究もできてしまう。
正義の名を語るハッカーもいるけど、基本的には悪いハッキングなんかはやってはいけない探究でしょう。
でも、悪いハッキングも探究サイクルとしては回る。課題を設定して、情報を集めてきて、実際試してやってみて、うまくいく、いかないで、さらにサイクルをどんどん回していく。そこに何のためにそれをするのか、というところを規定するのが道徳教育とかモラルエデュケーションかなと思います。
日本の場合は、他者と共により良く生きるっていうところと照らし合わせるのが、すごく弱い。

著者・監修者 芹澤 和彦

そういうお話を伺うと、そもそも日本の教育にモラルエデュケーションの部分が欠けている気がします。高校現場にいるからなのでしょうか。

荒木 寿友先生

隣の人とは仲良くしましょうとか、何でそんな言葉遣いするのか、など。そして未成年の喫煙もそうだし、法に則ったことも含めてちゃんと指導しているはずなんです。先生方は無意識にやっているのだけれど、核にはなっていない。そこを意識して授業作りをしてはいないですね。
小中は道徳が週1で35回あるから、そっちの意識はあるんだけど、それと国語、それと体育とか、どう繋がっているか、というところに関してはあまり意識してない先生の方が多いかな。道徳があるがゆえに、道徳でやったら良いという話になって、他の教科とは関係なくなってしまうのかもしれません。
だからそういう意味では、単なる探究って結構危ないという話を良くしています。ハイテックハイがやっている「何のためにするの」というところが抜けると、爆弾でも作れてしまう。探究は、諸刃の剣でもあります。

著者・監修者 芹澤 和彦

それは確かにそうですね。今のお話で、私も一つ懸念を持っていることに気づきました。探究した子たちが机上の空論で、文句ばかりのコメンテーターになってしまっていることです。探究しても、「頭でっかち」になって、クリティカルシンキング(批判的思考)の部分がすごく強く出てしまっていることがある。
エクイティのように、何のためという部分が、もう少し明示化された方が、分かりやすい原則があった方が良いのかもしれませんね。

荒木 寿友先生

元々、ノーベルのダイナマイトも、トンネルを掘っている坑夫が大変そうだから、何とかその人たちの仕事を楽にしてあげたい、という思いから出来上がったけど、それが人を殺すために使われてしまうようになった。それがノーベルの中での懺悔に繋がっていて、ノーベル賞が出来上がっています。
だから何事も「何に使うか」というところ。学校の先生は、説得力ある文章を書くことを求めるけど、説得力ある文章で人を詐欺に陥れる文書も作れてしまう。対人援助の力を使って、振り込め詐欺もできますからね。

著者・監修者 芹澤 和彦

結局何のためにそれをするのですか、という質問に、教師ちゃんと答えられますか、ということですよね。

荒木 寿友先生

そのことを教師が問い続けると、常に生徒の頭の中にも「何のためにするんだろう」と考える癖がつくから、それは大事なことだと思います。SDGsの理念としての誰一人取り残さないというのも大事だし、この探究をしたら誰かが取り残されるかもしれないとか、別角度から眺めるということも大事なポイントですね。

ただ、最初に人助けがあってとか、先に価値実現があって、それに向かってやるとなると、個人的には少し胡散臭さを感じ、あまり好きではありません。「独りよがり」と思える探究も面白い。例えば数学が大好きで、数式を発見するとか、それもすごい探究。私はあまり数式のことは分からないけれど、それが大好きな人にとっては美しい数式だったりする。そういう世紀の大発見と言われているようなものも、巡り巡ったら、私達のどこかを豊かにしてくれるものに繋がってくるかもしれない。そういった意味では、あらゆる探究は人間と繋がっているのだろうと思います。例え非常に個人的な好みから発生したものであっても、その探究が人間の営みと繋がっていく時に、「これってどういう意味があるんだろうか」という視点を問いかけていく必要があるのだと思います。

私は国際支援を行っていますが、途上国の人を助けたいという思いでやっているというより、自分の力はどこまで海外に通じるのかというのがあって、結果的にそれが向こうの人の役に立てたら良いかなというような気持ちでいます。自分のやっていることが、結果的に誰かを助けている、そういった視点の方が長続きするんじゃないかなと思います。

ちなみに、部活を熱心にやっていて、強くなりたいって思っている生徒の思考は探究そのものだと思っています。
勝ちたい。今のチーム状況はこうだ。あの高校に勝つためには、どうしたら良いんだ。この「どうしたら良いんだ」が、もう探究ですよね。
練習メニューを考えて、どうやったら強くなるのか。自分たちの弱点はどこなのか、強みはどこなのか。

荒木 寿友先生
著者・監修者 芹澤 和彦

大きく構える必要もなくて、何かに対して突き詰めて考えていく、というのが探究ですものね。

荒木 寿友先生

そう考えると、探究で良く用いられるアウトプットである論文というのも一つの表現ではあるけれど、それが全てでは無いと感じます。それだけが表現方法じゃない。ドキュメンタリーを作たって良い。ドラマを作っても良い。いろんな表現の仕方がある。

著者・監修者 芹澤 和彦

高校の現場の先生たちは「言語化能力」を求める。大学受験で志望動機を書かなくてはいけない。論文という形式を求めてしまう背景には、そういったこともあるかもしれませんね。別にプロジェクトでも良いじゃないかと、論文に固執する必要はないじゃないかという意見もありますが、せめぎ合っている印象です。

探究は、受験に繋がっているのか。

荒木 寿友先生

大学受験という言葉が出ましたね。ここで、探究と大学進学について触れてみましょうか。芹澤先生が過去に在籍していた堀川高校は探究で非常に有名ですが「本気で探究をやれば、教科の試験のスコアも上がるはずだ。それを証明したい。」ということを掲げ、結果非常に優れた進学実績を上げていましたよね。やはり相関していると思いましたか?

著者・監修者 芹澤 和彦

相関していると思います。一年生の一学期にもう探究の基礎的な型を身に付けて、一年生の後期からは、大学でやるゼミ活動みたいなものを始めるんです。
例えば英語だったら言語文化ゼミであったり、各教科の特性に合った、何かしらのゼミが存在しています。そこでテーマの学び方を身に付けつつ、一年生の後半で一回論文を書きます。高校二年生の前半段階で一度ゼミを選び直し、そこからさらに自分の好きなテーマで論文を進め、そこで凝縮して詰め込みます。
二年生の前半が終わった時点で、探究から解放されて受験勉強の方にシフトするのですが、受験が終わって生徒は「受験勉強の方が楽でした」と言います。それくらい探究を本気で取り組んでいます。学習ストラテジーとか学び方の部分で、一年生の前半から、メタ認知やクリティカルシンキングというところが培われるのかなと思いますね。

荒木 寿友先生

なるほど、確かに受験勉強の方が楽ですよね。何をしたら良いかが分かっているから。探究は基本的に自分で課題を設定して、そこに向かってどうすれば良いのかということを考えていく、そのサイクルを回していく力を付けるから、入試という課題が出てきた時に、それも探究課題になるんですよね。
例えば、問題集はこれをやったら良いとか、ここの大学がこういう傾向があるから、この手の問題を解いておけば良いとか。この大学の入試を解決するためにはどんな力が必要なのかっていうところの探究サイクルを回し始めることができるから。そういった意味では、入試と探究って、遠巻きには繋がっているはずなんですよね。

著者・監修者 芹澤 和彦

現役の受験で落ちた生徒が、次の年に受かるというケースが結構多いです。部活動をかなり熱心にやって最後まで部活するので、受験に対しては、難関国公立などには手が届かなくて落ちるんですけど、でも次の年は受かる。もちろん塾にも行くのですが、学び方の部分で、多分非認知能力的なところがすごく高くなっているので、どんどん自分でやっていけるのだと思います。

荒木 寿友先生

入試勉強だからこれをしましょう。と、予備校の先生とか塾の先生に与えられたものを解いていくことによって培われる学力と、探究的に入試を捉えて、どうすれば合格できるのかという課題で解いていく力を比べたら、同じ合格者であっても大学四年間の伸び率の差というか、その後の人生の伸び方も全然違うだろうなという感じがします。

教師と生徒の探究に向かう心持ちとは?

著者・監修者 芹澤 和彦

何のために探究するのか、という観点は「エクイティ」の話題でもお話いただきましたが、最後に、現場の先生、そして生徒はどのように探究と向き合ったら良いのか、について荒木先生のお考えをお伺いできればと思います。

荒木 寿友先生

「ワクワクしながら社会を良くする」そのための探究だと捉えるのが良いと思います。
ワクワクは絶対必要で、面白くなかったら探究なんてやる必要はない。本人が面白くなかったら、血湧き肉躍らない探究なんて絶対面白くない。「やらされ探究」にならないことですね。

著者・監修者 芹澤 和彦

探究がカリキュラム化されていて、やらなくてはいけないということで始まっているから、先生たちも「やらされ探究」化している。だから面白くなくなる。

荒木 寿友先生

私は、教師も探究した方が絶対良い。そしてその探究は真面目なものでなくて良いと思っています。
美味しい酒蔵巡りで、日本酒利き酒とか。そういう自分の趣味のレベルの探究で良いから、長期休暇を利用して絶対やった方が良いと思う。山登りが好きだったら山登りでも良い。大好きな人に会いに行ってきたという探究でも良い。探究の楽しさを味わっていないのに、生徒に面白い探究の授業なんて提供できないと思うのです。

著者・監修者 芹澤 和彦

そういうことをやっていないと、探究の中である種の正解を作ってしまって、そうでなければならないと思ってしまうので、どうしてもやらせてしまうマインドになってしまうのかもしれません。

荒木 寿友先生

教師も積極的に生徒と同じ状況に入っていって、同じように悩んでどうしようどうしようと言いながら、もっともっとやりたい、そんな気持ちを持って臨んでみて欲しいと思います。

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著者・監修者 芹澤 和彦

■著者・監修者
芹澤 和彦
高校英語教員/教育クリエイター

講演、企業研修、教員研修、イベント運営を多数実施。英語教育ではEF Excellent Award in Language Teaching 2019 Japan Finalist 第2位の表彰、アントレプレナーシップ教育ではNPO法人BizWorld Japan アドバイザー、ICT教育では2019~2022 Microsoft Innovative Educator Expertの認定を受けるなど、ジャンルを越えて教育実践を展開している。探究やクリエイティブ・ラーニング型授業の実践家である一方で、教員をしながら個人事業として起業。学校と社会の繋がりをつくる多様な活動をしている。
著書『中学校・高等学校 4技能5領域の英語言語活動アイデア』(明治図書)。

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