高校教師座談会 第1回
現役の高校教師が徹底議論!
『主体的・対話的で深い学びの本質とは』
【モデレーター】
芹澤 和彦
高校英語教員/教育クリエイター
文部科学省が提唱するキーワードが「アクティブラーニング」から「主体的・対話的で深い学び」にシフトしています。
「アクティブラーニング」が教授・学習法であるのに対し、「主体的・対話的で深い学び」は比較的概念的なものであるため、なかなか本質を捉えるのが難しいかもしれません。
今回は高校学習において様々な実践をされている三名の先生にお集まりいただき、この抽象的で捉えづらい言葉を紐解く議論を行いました。
前田 先生
大阪高等学校(大阪府)
担当教科:世界史
熊崎 先生
大商学園高等学校(大阪府)
担当教科:数学
合田 先生
大手前高松中学・高等学校(香川県)
担当教科:理科(物理)・数学・情報
「主体的」「対話的」「深い」という三つのキーワードがあり、それぞれについてお考えがあると思いますが、まずはお悩みからお伺いできればと思います。前田先生いかがですか?
私が今年度メインで行っている『知識構成型ジグソー法』は、まさしく「主体的・対話的で深い学び」ができる、と実感しています。主体的という部分では、明らかに教師ではなく生徒が主体。そして対話ありきの活動ですので、生徒が対話で様々な知識を獲得していく中で、深い学びが実現していると実感しています。
ただ、一点もどかしく思っていることもあります。教師主体ではない、という意味では生徒主体の授業だと言えると思いますが、辞書で調べたところ、主体性とは「自分の意思や判断に基づき責任を持って行動すること」とされています。現在私が行っている『知識構成型ジグソー法』では、私がメインクエスチョンやサブクエスチョンを全部お膳立てした状態に生徒が乗っかり、その中で活動していく形になっており、これでは完全に生徒の意思である、とは言い切れない気がしています。どこまで責任を持って行動してくれているのだろうか、という不安もある一方で、生徒が頑張ってくれているからそれでいいのかな、という思いもあります。
本来的には、メインクエスチョン・サブクエスチョン含め全ての問いを自分たちで立て、それを探究していく。その形のジグソー法ができれば、本当の意味での「主体的・対話的で深い学び」の実現になるのだろう、と非常にもどかしく思っています。
「主体的」とは、自分の意思や判断で責任を持って行動することですが、教師が課題設定をしてしまっている状況が多いようです。『知識構成型ジグソー法』やアクティブラーニング型の授業と呼ばれているものの限界もあるのかも知れません。
「主体的」や「対話的」の本質を突き詰めていったときに、教師が課題を準備していることが、果たして本質に沿っているのだろうか、そのような懸念を投げかけていただいたことは、非常に重要な視点だと思いました。
では「主体的な学び」について、熊崎先生と合田先生にもお伺いしたいと思います。
確かに主体性は、一番測りづらいですね。私の高校でも「主体性ってどこで測る?」となったら「宿題を出す」というようなところで終わってしまう。だからこそ主体性はあえていったん置いておいて、「対話的で深い学び」を成立させるために総合的な探究の時間において、チームビルディング形式でチームとしてどのように対話してどのようなアイデアを作り深くしていくか、という活動を行い、それを教科に繋げられるような流れを目指しています。
主体性ということを、もしかしたら世の中の多くの先生が難しく、高貴なものとして捉えすぎているのかもしれませんね。完全に生徒の中から湧き上がってくる状態にしてあげないとそれは主体性と言えないのではないか、と思っているとしたら、そんなに難しく考えなくても…と思っています。
教育における第一人者である溝上慎一先生は、主体的な学習をスペクトラム(境界線が明確ではない状態が連続しているさま)で捉えていらっしゃいます。最初は課題依存型の主体的学習で良いのではないか、と。言い換えると、「この課題はとてもおもしろい」「先生の授業はすごくおもしろい」「僕たち、なんか知らず知らずのうちにやっちゃっています」というレベル。それがおそらく最初の主体的学習者です。
つまり、「やりなさい」と言われて強制的にさせられるのではなくて、「気がついたら楽しく学んでいました」みたいなものも主体的学習です。
「やっぱり勉強って大事、勉強はしっかりしなければ」と思ってどうやったら勉強が上手になるかな、ということを自分で目標を立てたり、次のテストで80点取るにはどうやって勉強していけばいいかを自分で考えたりするというのが、レベル2「自己調整型の主体的学習」となります。
おそらくここが皆さんのイメージされている主体性だと思います。自分は将来こうなりたい!そしてそのために今これを頑張る!というような。しかし、いきなりこんなところまでには生徒は絶対に到達しないので、最初はアクティブラーニング型授業の「レベル1」を引き出す手法だと思います。そこから徐々にリフレクションなどを活用しながら、総合的な探究の時間において自分のあり方・生き方のところまで考えていく、それがレベル3と思います。
でも、いきなりレベル3に行こうとしている先生がいたとしたら、それは非常に難しいことではないか、と思います。私自身も、そのような授業ができているわけではないので、レベル1からでいいのではと、お二人の話を伺って感じました。
ありがとうございます。非常に理論的で示唆に富むお話をいただきました。
ここで、少し視点を変えた課題として、教科との関係性についてお伺いしたいと思います。
本質的な部分で主体的ということを考えていくと、「そもそも学校は、カリキュラム全部を用意しているじゃないか」という話になってきます。この話を教科に落とし込むと「教科学習として学ぶコンテンツは全部決まっているじゃないか」となります。
このあたりのジレンマをどうお考えですか?
教科の中に「主体的・対話的で深い学び」を入れるのは確かに非常に難しいですが、それを解決する糸口が総合的な探究の時間にあると思っています。総合的な探究の時間と教科をどう繋げたらいいのか、悩んでいらっしゃる先生が多いのではないかと思いますが、無理やり繋げる必要はなくて、例えば各教科の時間に「探究の授業であんなことをやったよね」という投げかけを行うだけで繋がるのだろうな、と思っています。
私が構成する探究の授業は、基本的に生徒同士の会話、チームの中での対話を重視し、チームで行う意義を柱にしています。その話が生まれるだけで「あの時にあの子とああいう会話をしたな」とか、そういうことでいいのかな、と思います。
教科の中でやることが決まっていたとしても、両者の架け橋になってくれるのが総合的な探究の時間。教科学習でも、総合的な探究の時間で培われた「自分たちで学びを作っていく意識」が活きてくる。だから教科学習の中で無理やり何かをしようと思って苦しむ必要はない、という熊崎先生の温かいメッセージですね。
できることとしては、「探究の時間でこういうことをしたよね」という声がけをするだけで、生徒の中で学びが繋がる。その一つの声がけがあるかないかは重要な視点だ、と認識できました。
次に、おそらく多くの先生方にとって「主体的」と並び悩ましいのが「深い学び」の捉え方だと思います。
合田先生、その観点では普段どのようなことを考えていらっしゃいますか?
「深い学び」を理解するにはまず、「浅い学び」を定義することが大事だと、先ほどご紹介した溝上慎一先生はおっしゃっています。浅い学びというのは、棒暗記・丸暗記です。
深い学びがなぜ大事なのか。非常に複雑で様々なものが絡み合うVUCA時代には「本当にこれでいいのか」や「これってなぜそうなるのか」など、物事をしっかりと分析しながら考えていくことができるか、が大切だと思います。「主体的・対話的で深い学び」というフレーズには、これからのこの世の中でしっかり生きていくために、生徒にどのような力を付けてあげたらいいのか、が全て詰まっていると思い、それに則るような実践をしています。
ただ、偏差値を伸ばすためには、実は浅い学びでも十分だったりします。棒暗記でも、一定のところまで偏差値は伸びます。暗記は不必要ではない、むしろ必要だと思っていて、暗記があって初めてその次の深い学びへ行ける。「活動あって学び無し」などと言われたりしますが、知識がない人たちに、「これ考えてみて」と言っても、生まれるものはない。浅い学びを否定するつもりは全くありませんが、それだけでいいのかということです。「知識と知識が結びついていくような」とか「本質洞察をしていくような」とか、具体を具体で終わらせずにちゃんと「抽象と具体を行き来できるような」学びをしていくことが大事だと解釈しています。
ありがとうございます。一つの事例だけでなく、その抽象度を上げていくことで気づきになり、また別のところに応用されていって、違いが明確に見えてくる。学びが深まっていくプロセスそのもの、といったイメージですね。
「主体的・対話的で深い学び」について、かなり紐解けたような気がしますね。
では最後に、今までの議論も踏まえつつ、ズバリ「主体的・対話的で深い学びにおける本質とは?」をお伺いします。
前田 先生
「私たちはなぜ学ぶのか?」というテーマで授業を実施した際、生徒の感想に「今までは偏差値の高さを基準に進路を考えていたけど、そうではなく自己実現が果たせることを基準に探していこうと思いました。」というものがありました。私は授業の中で、一切「自己実現」という言葉を使用していません。「なぜ学ぶのか」、その答えも出していません。
それでもこの生徒が対話の中でこういった答えを出してきたことについて、ここに「主体的・対話的で深い学び」の本質が詰まっているのではないかと感じました。
熊崎 先生
「主体的・対話的で深い学び」における本質は「問い」だと思います。問いが自己理解を促し、自分を教えてくれると思うからです。
問いが対話を生み、問いが問いを生み、循環が生まれると思います。今後、教師は問いの質の向上を意識していく必要があると思います。
合田 先生
私は「主体的・対話的で深い学び」を「コンピテンシーの育成」と捉えています。主体的も大事、対話的も大事ですし、深いというのも大事で、これまでの知識偏重型教育、偏差値教育というものに対するアンチテーゼとまでは言いませんが、やはりこれからの時代に必要な要素が端的に詰め込まれていると思います。
変化の激しく不確定なこれからの時代に最も大切なことの一つは、自分自身の変化を厭わず、常に学び続け、その学びを楽しむことだと思います。そういう姿勢を学校教育で生徒が身に付けられるようにすることが「主体的・対話的で深い学び」の本質であり、真の目的だと考えています。
主体的という部分を取れば、「自分の学びを自分で作っていける人になりましょう」ということだと捉えています。誰かに与えてもらう学びではなく、自分の学びは自分で作っていく。そういうことができる生徒を、我々教育者は育てていかなければならない。
一方で今の仕事社会は、協働的に仕事をすることがほとんどです。だから、いくら主体性が高くても、協働性が低いままだと社会人としてやっていくのはちょっと厳しい。やはりこの対話的に学べるということも大事だと思っています。ということから、ペアワーク・グループワークが大事だと考えています。
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■著者・監修者
芹澤 和彦
高校英語教員/教育クリエイター
講演、企業研修、教員研修、イベント運営を多数実施。英語教育ではEF Excellent Award in Language Teaching 2019 Japan Finalist 第2位の表彰、アントレプレナーシップ教育ではNPO法人BizWorld Japan アドバイザー、ICT教育では2019~2022 Microsoft Innovative Educator Expertの認定を受けるなど、ジャンルを越えて教育実践を展開している。探究やクリエイティブ・ラーニング型授業の実践家である一方で、教員をしながら個人事業として起業。学校と社会の繋がりをつくる多様な活動をしている。
著書『中学校・高等学校 4技能5領域の英語言語活動アイデア』(明治図書)。
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